中国古典〜1日1言〜:5/22
5/22
疑心、暗鬼を生ず
-疑心生暗鬼-
「列子」
疑心、暗鬼を生ず
疑わしい眼で見ればすべてのことが疑わしく思われてくるのだという。
『列子』に、こんな話が紹介されている。
ある男がマサカリをなくした。隣の息子があやしいと思った。その息子の歩き方をみると、どうも盗んだようだ。顔つきも盗んだようだ。ことばつきも盗んだようだ。やることなすこと、みなまさかりを盗んだように見えてくる。
ところが、その後、谷間を掘っていると、思いがけずマサカリが見つかった。それからは、隣の息子のやることなすこと、盗んだように見えなかったという。
誤った予断や先入観によって判断をまどわされるのである。自分の判断力でも、無条件の信頼など置かないほうがよいのかもしれない。
先入観はどのようにして作られるのか
この言葉で紹介されている「隣の息子があやしいと思った」という感情は、どのようにして生じているのか想像してしまいます。隣の家族との関係性は?息子とのこれまでの関係性は?過去に何か似たような出来事があったのか?など。
先入観というのは、その人がこれまで経験してきた過去の出来事とそれによって生じた感情によってつくられるとも思います。
そして、出来事自体が自身に対してポジティブなものかネガティブなものかによっても左右されると思います。
先入観=感情とも捉えることができます。先入観によって判断を見誤らないことが大切なことだと思います。
自分の思い込み
先入観があることは、決して悪いことではないと私は思います。しかし、その先入観を俯瞰してみることができなければ、それはネガティブな判断を導くことになりかねないと思います。
先入観を吟味せずにそのまま鵜呑みにしてしまえば、それは思い込みへとつながります。思い込みをしてしまうと、そこから判断を修正することが難しくなりかねません。
感情だけに左右差れ、無条件に物事の判断を決めてしまうことは思慮深さを失ってしまう恐れがあります。
暗鬼とは「くらがりに見える鬼。 妄想からひきおこされる恐怖心。 実際にはないことを、あると思ってこわがる気持。」
実際にないことをあると思ってしまわないように、情報収集能力と感情コントロールというのは大切になってくると思います。
本書は人生を生きるうえで参考になることばがたくさんあります。ぜひ購入して普段の生活に役立てることをお勧めします。