中国古典〜1日1言〜:5/15

5/15
人は流水に鑑みるなくして止水に鑑みる
-人莫鑑於流水、而鑑於止水-
「荘子」
人は流水に鑑みるなくして止水に鑑みる
流れる水はいつもざわついているので人の姿を映し出すことができない。これに対し、静止した水(止水)はいつも澄みきっているので、あるがままに人の姿を映し出す。
人間も、静止した水と同じように、静かな澄みきった心境でいれば、いついかなる事態になってもあわてることなく、誤りのない判断を下すことができるのだという。
ここから、澄み切った心境を形容する「明鏡止水」ということばが生まれた。
これはまた「無心の境地」と言ってもよいかもしれない。なにごとでも、雑念や欲望が心につまっていたのでは、それに足をすくわれてしまう。
既成概念をいっぱいつめ込んでいたのでは、それにとらわれて流動する情勢への対応を誤ってしまう。
勝負でも、勝とうとする気持ちが先に立てば、体がコチコチになって、ふだんの実力を発揮することができない。
上善如水
中国古典〜1日1言〜:1/16
上善:最も理想的な生き方
古典において水を比喩として用いることばが多くあるように思います。それほど、人間にとって水というのは大切な存在だと思います。人間の体も50%以上は水分で構成されているといわれます。
水の存在を正しく認識し、生きるために必要な物質だけでなく水のような心、澄みきった心で道を進んでいくことが上善のために必要なことではないでしょうか。
心が冷たい選手
少年サッカーの現場においては、試合に緊張して本来の力を発揮できない選手がしばしば見受けられます。
この水で表現するならば、水温が下がっている選手だと私は思います。なので、緊張するとすぐに氷になってしまいカチカチの動きになってしまう。
普段から、暖かい心(水温)でいれば、いかなる状況でも氷になることはなく、普段の動き(水の流れ)を作ることができると私は思います。
なので、日常からの心の在り方というのが大切になってくるのではないでしょうか。
友達に冷たくしたり、家族に冷たくしたり、物に当たったりなど。子は親を移す鏡と私は思っていますが、家族の在り方というのが、子供に影響を与えると私は思っています。人のために、社会のために視点を常に持っておくこと。そういったことが心を清らかにするための大切な思想なのだと私は思います。

本書は人生を生きるうえで参考になることばがたくさんあります。ぜひ購入して普段の生活に役立てることをお勧めします。