中国古典〜1日1言〜:5/26

5/26
人生、一分を減省せば、すなわち一分を超脱す
-人生減省一分、便超脱一分-
「菜根譚」
人生、一分を減省せば、すなわち一分を超脱す
「この人生では、なにごとにつけ、減らすことを考えれば、それだけ俗世間から脱け出すことができる」といった意味である。
俗世間:一般の人が現実的、日常的な生活を送っているこの世の中
たしかに、減らすことはむずかしい。上手に減らすことのできる人は、人生の達人なのかもしれない。われわれも、せいぜい減らすことを考えたいものだ。
過去の記憶
過去の思い出の品などは、簡単に捨てることができない人は多いのではないでしょうか。ミニマリストという言葉が流行っていましたが、物を少なくして生活できることは、余計な雑念を生ないためにも良いことではないかと私は思います。
この捨てるという行為は、自身の知識を整理するために必要な行為だと私は思います。
捨てるという行為には、”自分にとって必要のないもの”という物事の判断をすることができます。あれもこれも必要となってしまっては、本当に必要なことが見失ってしまいます。
時代はデジタル社会です。写真などの記憶はクラウドに保存をすることができます。今も昔も情報は自らの手でとりにいくことが大切です。
過去の栄光で得た感情に浸ることは、精神の安定には役立つかもしれません。しかし、未来のための行為にはなり得ないと私は思います。過去は過去でしっかり整理をして未来に向かって突き進んでいくことが人生を楽しむためには大切なことだと思います。
たくさん集めてよいもの
断捨離をしなくて良い物があります。私はそれは”本”だと思っています。この世にはさまざまな書籍で溢れています。人間の脳から実に多くの物語や思想などが言語化されています。
そういった情報を得るために本は必須です。
多動力
多動力という本を書いた人物がいます。私もその本は読んだことがあります。たしかに自分の興味のあることなど、さまざまな分野の学びをえることは大切なことです。
しかし、自分は一人しかいません。過去に音楽や芸術やスポーツなど、他分野で名声を挙げた人を私はしりません。やはり、何か一つの分野や能力に長けているから魅力や価値が高まるのだと思います。
そういった面でも、この言葉にあるようにその人にとっての一分を減らすことができると、超脱することができるのかもしれません。
超脱するために、”何を減らすことが自分にとっての「一部を減らす」ことになるのか”ということを考えて、超脱して俗世間を抜け出したいものです。

本書は人生を生きるうえで参考になることばがたくさんあります。ぜひ購入して普段の生活に役立てることをお勧めします。