中国古典〜1日1言〜:7/1

7/1
学びて然る後に足らざるを知り、教えて然る後に困しむを知る
-学然後知不足、教然後知困-
「礼記」
学びて然る後に足らざるを知り、教えて然る後に困しむを知る
「学びて然る後に足らざるを知る」ー学ぶことによって自分に不足しているものがわかってくる。だから、学ぶことには終局がない。
「教えて然る後に困しみを知る」ーこれは教える立場に立った人でないと、理解できない面があるかもしれない。ふつう、人から学ぶよりも、人に教えるほうが二倍も三倍もの労力を必要とする。人に対してまちがったことを教えるわけにはいかないから、時間をかけて勉強もし、準備もする。それでも十分だということはありえない。たえず自分の未熟さを思い知らされる羽目になる。
困しみをバネにして、いっそう勉強に励まざるをえないということになる。
つまり、このことばは、「足らざるを知る」ことも、「困しみを知る」ことも、自分を向上させる動機になることを語っているのだ。
学び続ける
人間は社会で生きている以上、学び続けていかなければならない生き物だと思います。大脳皮質の発達に伴い、人間には知性と理性が身についたと考えられます。社会で共存する生き物となった人間社会において、知識は武器となります。
知識を多く身につけた人物には、個性が磨かれセンスが良い人間となるのではないでしょうか。
足らないと知る
学びを深めていけばいくほど、知らないことが多いことに気付かされます。西暦から数えても、2022年間で積み上げた人間の知識と経験は計り知れません。特にここ100年間の近現代史においては、時代の変遷が大きくなっていると思います。
この近現代史を知っていることと知らないこととでは、現代の捉え方が人によって大きく乖離してしまうと私は思います。
特に私が最近憤りを感じているのが”社会保障費”です。
伊藤周平著 消費税増税と社会保障改革において、消費増税が行われており社会保障費の支出が削られていることです。消費増税分は社会保障に充てるというどこかの国会議員の説明と実態が乖離している現実があります。そういった部分に反論できないのは、”知らないから”です。
学びをすすめて、日本国民、世界の国民が豊かで平和に暮らせるようになるために人間は歩みを止めず、学び続けなければならないと思います。
教える立場になることで得られる学び
理学療法士として患者様のリハビリ業務に従事している時や、少年サッカーの指導など、学びというのは現場から得られると常々感じています。その学びを確かにするためには、机上での学び、現場での学びをひたすら繰り返すことだと思います。
そいういった学びを繰り返しおこなえる環境に身を置けることがまず第一だと思います。
そして、頭と体を使い、知識を得て知恵を身につけ、賢い人間へと成長していくことが、この言葉を通して大切であると改めて認識させられます。

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