中国古典〜1日1言〜:2/8
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吉人の辞は寡く、躁人の辞は多し
-吉人之辞寡、躁人の辞は多し-
「易経」
吉人の辞は寡く、躁人の辞は多し
吉人:徳のある立派な人物
躁人:吉人の反対
徳のある人物は口数が少ない。徳のないものにかぎって、ことばを並べたてる。
ことばというのは、その人の心の動きを正直に映し出す。(中略)信念を持たぬ者は、ことばづかいも卑屈になる。
言葉=心
「言葉はその人の心の動きを正直に映し出す」この言葉はとても素敵だと思いました。表面は取り繕っても、ことばに後めたさがあったり迷いが表れる。と記述されています。
言語技術は、日本の教育ではあまり指導されていないように感じています。なぜかというと現在先生になっている大人も、子供時代に言語教育を受けたことがないためか、日本人は宗教観が軽薄のためか、自信をもって指導できる精神のベースができていないからと考えられます。
しかし、先生も生徒の前で失敗をしても良いですし、我々指導者も、子供の前で失敗をしても良いと思います。サッカーに限らず、指導においても間違っていたら私は素直に謝ります。誰しも失敗はつきものです。
完璧な人間はこの世には存在しないと私は思います。教育=共育です。双方がお互いに学び成長していく過程に価値があると私は思います。そういった姿勢が心を磨くことにつながります。
心を磨いて綺麗にするのと同時に、言葉遣いも磨いていきます。それが吉人になるための一つの手段だと考えられます。
口数が少ないことが良いとは限らない
仕事場での会議などで、自分の粗を晒したくない・恥をかきたくないなどの理由で自分の考えを発言をしない人たちが多いです。
しかし、その人の基準に対して、他人が発言した見当違いな事や適切でない事を言ったら、非難をします。仕事ができない人ほど、会議では発言せずに後言を言ったりします。
面従後言
全ての出来事は、自分を成長させてくれる糧になります。(糧:精神・生活の活力の源泉。豊かにし、また力づけるもの。)
口数が少なく自分の粗を晒すことなく人から指摘されない人生を送り続ければ、その人はいつまで経っても変わることができません。打たれ弱いままです。
心=刀
鍛冶屋はひたすら刀を叩くことで鉄の強度を上げます。これは鉄を伸ばして形を整えているのではなく、繰り返し叩くことで粘土のような粘りを持たせて強度を増すとともに、不純物を叩き出し、鉄を強く、「鍛えて」いくのです。
進路のミカタ
人の心も日本刀と同じように思います。
たくさん人から指摘される事で、自分の弱点を克服し、心を鍛えていくことが大切です。
行動を指摘するのではなく、言語を扱う技術から改善していく。少年サッカーやスポーツにおいては、自分の気持ちや考えを表現する技術を学ぶことが、心を磨くことにつながり強い心が身につきます。
本書は人生を生きるうえで参考になることばがたくさんあります。ぜひ購入して普段の生活に役立てることをお勧めします。