中国古典〜1日1言〜:6/25
6/25
糟糠の妻は堂より下さず
-糟糠之妻不下堂-
「後漢書」
糟糠の妻は堂より下さず
若いころ、糟や糟を食って苦労を共にした古女房は、偉くなって金がたまっても、棄てたり、粗末に扱ったりしてはならないというもの。
後漢の光武帝に出戻りの姉がいた。この姉は宋弘という重臣に思いを寄せる。
姉思いの光武帝は、ある日宋弘を呼んで、やんわりと切り出した。
「下世話にも、富ては交わりを易え、貴くしては妻を易うというそうだが、どう思うかね」「いや、私は”貧賤の交わりは忘るべからず、糟糠の妻は堂より下さず”と聞いております」
筆者は古い人間であるから、こういう話に感動するのだが、皆さんはどうだろうか。
もっとも現代では、自分から出て行きたいという古女房が多いそうだが、そういう場合は、この限りではない。
古き良き日本人のこころ
古来の日本人、縄文文明のころには”争いの武器”の出土がみられていないという説があります。つまり、1万年以上前の日本人には”争いの文化がなかった”ということが考えられます。
縄文文明のころの平均年齢が25〜26歳といわれており、文明が栄えていなかったころというのは共栄の精神があったのではないでしょうか。
そういった遺伝子がわれわれ日本人に宿っているとしたら、この文化と心を語り続けていかなければなりません。
もちろん、戦国時代など日本人同士の争いが存在していたことは事実だと思います。しかし、それは文明の発展に伴い武器が発達し子孫繁栄の精神で争いをおこなう動機があったのではないでしょうか。
また寿命や人口などの増加にともない、そういった争いが多くなってきたのも否めないと思います。
世界の人口は今後100億人となる推計もでていますが、そのような過ちを繰り返しながら人類の歴史が積み重なっていくのだと思います。
しかし、そのようなご時世でも、”古き良き日本人の心”を大切にし、共栄精神で歩んでいくことが大切だと思います。
共栄のために相手を知る
中国古典〜1日1言〜:2/3
共栄のためには、相手を知る必要があります。ここが非常に大切だと私は思います。国防にしても、相手の国力がどの程度かを知り、わたしたちの国力も知ることで、態勢をととのえることが必要です。
平和のために話し合い
これは確かに理想です。しかし、理想と現実は違うと思います。
そして、相手を知るということに”背景を知る”ということも非常に大切だと思います。特に、宗教観の違いが物事の捉え方に大きな影響をあたえるのではないでしょうか。
現代における世界に富裕層の方々は、一神教で神に近づくためによりお金を稼ぎ高い地位へと上り詰めることを目指しているという見方もできます。
しかし、日本人は多神教であり”八百万神(やおろずのかみ)”という言葉もあります。この宗教でも共栄の精神が少し垣間見えます。
古き良き心を忘れないことが、このような言葉が生まれてた一つの要因だと思います。
本書は人生を生きるうえで参考になることばがたくさんあります。ぜひ購入して普段の生活に役立てることをお勧めします。