中国古典〜1日1言〜:6/16

6/16
鷦鷯、深林に巣くうも一枝に過ぎず
-鷦鷯巣於深林不過一枝-
「荘子」
鷦鷯、深林に巣くうも一枝に過ぎず
「鷦鷯(みそさざい)が大きな林の中で巣をつくるのに必要なのはたったひとつの枝だけであるという意から、人はみな足るを知り、分に安んずべきだ、とのたとえ。」
『荘子』はさらに、「偃鼠、河に飲むも満腹に過ぎず」ー かわうそは黄河の水を飲むけれども、腹いっぱいになるだけあれば十分だ、と続けている。
人間だれしも欲をもっている。目の前に利権をちらつかされると、ついとびつきたくなるのが人情だ。その欲にふり回され、泣いたり喜んだりして一生を終わるのが、われわれの人生であろう。欲につまづく人間を、だれも笑うことはできないのである。
だが、時には『荘子』のこのことばを思い出して、自分の生き方を反省してみるのもよいだろう。少なくとも心のイライラを解消するのには役立つかもしれない。
足るを知る
自分のおかれている状況で、目標に向かっていくために必要なことを考えることは一般的かと思います。しかし、それと同時に”不必要なものを除く”という視点も大切です。特に自分について考えた時に”周りに不必要なものはないか?”という視点で環境整理や道具整理をすることは、目標に向かって進むうえで大切な行為ではないかと思います。
この言葉では動物に喩えて”足るを知る”ことを表現しているかと思います。しかし、人間は自然動物でもあり社会動物でもあります。世界人口は約70億人と多くの人間がこの世界に存在し、力を持っています。
人間は地球上の生物で”数”と”力”を持ち合わせた生物です。社会活動を営むなかで、資源についてはその土地で生産される資源力で生活を営むのが理想だと思います。しかし、世界はそうではありません。資源が不足する国もあります。水、エネルギー、食糧など。そういった自国に足りないものは他国と共生することが理想だと思いますが、侵攻という形で奪い合う歴史があります。
この言葉にある”足るを知る”というのは、人間社会においては難しい言葉かもしれません。特に、資本主義社会となった近現代においては金融社会となり資源を紙幣で価値交換をする時代となっています。お金が世界を巡る社会となっています。
そして、そこには宗教観も影響していると思います。キリスト教など一神教において、人間が神に近い存在であろうとする思想があります。そういった思想において、お金を多く持っている人間が神に近づく存在(奴隷、広い土地、優雅な生活)へと昇華させるのかもしれません。
富める者は、世界人口において1%かもしれません。そういった少数派が優越感に浸り、多数派を退けるのが資本主義社会なのではないでしょうか。
世界金融資本化達が、そのような行動をとるのであれば、一般市民は、この世界における多数派でも力がない蟻と同じ扱いをされているのかもしれません。
この”足るを知る”という精神は、われわれ一般市民を抑制させるための言葉とも捉えることができるのではないでしょうか。
個人と集団での”足るを知る”という言葉の捉え方
この”足るを知る”を集団で捉えることができるとどうでしょうか?
集団で”足るを知る”を意識できれば、支え合いながら生存していく社会ができるのかもしれません。需要と供給のバランスを常に考え、経済活動を営んでいけば、支え合いながら活きていく世界ができるのかもしれません。
石油などのエネルギーの問題は、この需要と供給のバランスに地域差が現れているのが戦争や世界経済を動かす一因となっているのではないかと考えてしまいます。経済活動を営むにあたり、産業革命以降石油というエネルギーが与える人間社会への影響というのは大きくなっています。
このエネルギー依存の世界経済、金融社会の仕組みは今後も継続されていくと思います。
われわれ日本人という集団は、現代社会において他国に依存しすぎているのではないでしょうか。江戸時代は鎖国下(海外貿易は行われていましたが)でも自国で経済が回っていました。グローバルスタンダードという言葉がありますが、それ以上に自国で経済を回す力を高めていけば、その国の人々は幸せに暮らせるのではないかとも考えてしまいます。そういった部分において”足るを知る”という精神が欠けているのかもしれません。
カワウソのように、余剰なものは取らないという姿勢も大切かもしれません。

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