中国古典〜1日1言〜:6/15

6/15
牝鶏の晨するはこれ家の索くるなり
-牝鶏之晨、惟家之索-
「書経」
牝鶏の晨するはこれ家の索くるなり
晨:鶏が夜明けをつげること
コケコッコーと鳴いて朝を告げるのは、雄鶏の役割である。それなのに、牝鶏がしゃしゃり出てコケコッコーとやるのは、家を滅ぼす元であるというのだ。
むかしの中国は古典的な男尊女卑の社会であった。このことばも、そういう思想の反映にほかならない。
今は中国もむかしとちがって男女の同権が保障されている。だが、先年の江青さんのような女性が現れて政治をひっかきまわしたりすると、やはり男どもはこのことばを思い出して苦虫をかみつぶしていたはずである。
そもそも男と女では体の構造が違う
男と女が存在する人間社会では、両者で役割が違うのは当然ではないだろうか。縄文文明などでは、男は食料を求めて狩りにでて、女は家で子を育てる。人間というのはそもそもそういう社会文化を辿ってきていると思います。
稲作文化、産業革命などを経て、先進国では食料に困らなくなり働き方の多様化により女性も社会進出がおこなえるようになってきた。過去の長い歴史を顧みずに、この100年あまりの歴史、とくにIT革命が始まった近代において、女性の社会進出を阻むのは男だという風潮はよろしくないと思います。
今は、男女の価値観のパラダイムシフトの真っ只中だと思います。今の歴史を将来に繋ぎ、男と女の社会存在意義に変化が生じてくるのではないでしょうか。
寛容な社会
IT革命にともない、女性の社会的価値というのは高まりやすくなってきたと思います。体の成り立ちから、力で女性が男性を上回ることはむずかしいと思います。それは性別による役割に違いが出現して当然です。
しかし、現代では力で存在価値を示す時代から能力で存在価値を示す時代へと変化しています。そこで大切なのが、性別にこだわらない多様な価値観の受け入れです。
人間には帰属意識が存在すると、その集団の思想を取り入れやすくなります。それは良い面もあれば、間違った情報を得た場合にもそれを精査する目を失ってしまう恐れもあります。
情報リテラシーという言葉が浸透してきている昨今、一つの意見を肯定するだけでも否定するだけでもいけません。双方の視点を持ち、自分で考えを持つことが大切です。
この男尊女卑の考えも、一方向からだけの考えを支持している恐れがあります。肯定的な意見もあれば否定的な意見もあります。双方からの視点をもち、自分の考えをまとめてこの問題と触れ合っていくことが現代における私たちに大切な姿勢ではないでしょうか。

本書は人生を生きるうえで参考になることばがたくさんあります。ぜひ購入して普段の生活に役立てることをお勧めします。