なぜ小学生は、高学年になるにつれて自分の考えを言葉で表現しなくなるのか?

少年サッカーの現場を通して感じることがあります。それは、自分の考えや意見を学年が上がるにつれて表現しなくなることです。
小学校3〜4年までは、自分の考えや要望を表現する子が多くいます。「試合に出たい」「なんで試合に出れないの?」「〇〇ができるようになった」など。

しかし、小学校5年生頃から、自分の考えや要望を表現する事が減ってくる子ども達が多い印象です。
これはなぜか?この著書を読み終えて、その要因の一部が分かりました。
A:言語教育がないから
私は上記の著書を通して、このように考えました。
自分の考えを表現する事は、コミュニケーションをとるために大切なことです。コミュニケーションは双方の言葉や行動のキャッチボールで成り立ちます。
学校教育では、自分の意見や考えを述べる機会が少ないように感じます。意志交流を図ることで、社会で生きていく術を身につけることができます。
・判断力が育つ
・自己決定力が育つ
・コミュニケーションスキルが育つ
自分の考えを表現することには、このようなメリットがあると述べられています。スポーツにおいて、判断力というのは大切な能力です。
スポーツにおいて、「言語技術」も立派な技術の一つ。そう思わせてくれたのがこの著書でした。サッカースキルだけを教える指導はもはや時代遅れだと思います。
自分の考えを表現しなくなる理由
日本語の“特徴”と“教育”が要因
日本語の特徴
日本語は、曖昧な言葉をつかってその場をやり過ごすことができます。
「別に」「微妙」「キモい」「うざい」
この言葉の問題点は、理由が述べられずに会話が終わってしまうことです。
日常の会話では、“なぜそのような感情が生じたか”を冷静に分析して、自分の考えを整理することが大切になってきます。
日本語には「阿吽の呼吸」ということわざがありますが、小学生が、この“阿吽の呼吸”をいきなり使えるはずがありません。
阿吽の呼吸:二人以上で一緒に物事を行うときの、互いの微妙な気持ち。また、それが一致すること。
考えを共有するためには、言葉にして声に出すことが絶対条件となってきます。小学生の時期に言語教育をおこなうことで、自分の考えを言葉にする習慣が身につくと思います。
考えを共有するために、言葉を声に出して伝え合うことが大切
日本の教育
現在の日本教育には、「答えが合っているかどうか」で評価をされる側面があります。そうすると、「質問に対して正解を探そうとする態度」が身についてしまいます。
答えは、0〜1の間にあるのではなく、0〜100の間にあります。答えの範囲が狭いと思ってしまうため、尻込みしたり恥をかくことを恐れたりするのかもしれません。指導者は答えには幅があることを教えないといけません。
そうした皆が同じ答えを求める教育は、創造力を養う能力がつくはずがありません。
創造力とは、失敗を重ねながら育てていく
ということも述べられています。
言語技術をトレーニングすることで、創造力が養われ、スポーツや将来仕事をする上で人には思い付かないアイディアやイノベーションを起こすかもしれません。
日本には「恥の文化」があると指摘する学者もいます。
「恥の文化」
アメリカの文化人類学者 R.ベネディクトが『菊と刀』 The Chrysanthemum and the Sword (1946) のなかで使った用語
https://kotobank.jp/word/恥の文化-114202
海外の文化は「罪の文化」と指摘されます。こういった文化の違いから、日本特有の「恥を恐れて、自分を表現しなくなるメンタリティ」が作り上げられるのかもしれません。
恥ずかしい事を恥ずかしいと思わない。
”恥”とは、”耳”と”心”という漢字で成り立ちます。耳を心に傾けて、自分に正直になることが大切です。
そこには成長するキッカケが眠っています。
言語技術とは?
言語技術とは、情報を取り出し、解釈し、自分の考えを組み立て判断する力を養っていく
相手に対して、ことばを確実に伝えるための条件とは、「論理的(客観的)に考えて、話をする」ということに尽きるとされています。
言語技術を磨くことで、自身の心も磨かれます。心を刀と比喩することもできます。叩かれることで不純物を取り除き、より強い刀(心)ができあがります。
この著書では日新館が紹介されています。そこでは少年期(特に10歳〜15歳)の英才教育がおこなわれています。こういった教育は精神のベースがしっかりできあがる一つの良い教育だと思います。
自分の考えを言葉に出し、心(刀)を磨いていく教育が大切
海外の教育
フランスやドイツなどには、言語教育がカリキュラムに取り組まれています。言語技術を高めるためにに必要なことです。また、宗教の影響もあるのか、親をリスペクトする精神があるそうです。
そして、一般社会でも「なぜ」「どうして」という質問が投げかけられるそうです。そうすると、何かを聞かれること前提で、物事や状況について考える習慣ができます。
日本には道徳という授業がありましたが、そこには社会的価値観や倫理性を育てることが目的の一つで、言語技術を高めるという目的はあまりないように私は思います。
何かを聞かれること前提で、物事や状況について考える
社会で生き残るためには、自分の言葉を巧みに扱うことは大切です。
中田英寿、イチロー、野茂英雄などは自分の考えを伝える事に長けていると思いますし、彼らのコメントにはどこか人と違う魅力を感じます。
日本でも、自分で考えて行動し、発言して意見を出すことを行えば、海外に出てからも通用するコミュニケーションスキルや養われると考えます。
まとめ
自分の考えを言葉で表現する機会を作り、言語技術を磨き続ける
恥を恥と思わない教育
まずは家族と言語技術を磨く
考えを共有するためには、”言葉にして声に出す”ことが絶対条件とされています。
自己表現をする事は、社会人になってから大切な能力です。
”自分の行動”の目的や意味を言葉で振り返る事で、言語技術が養われます。
スポーツを通して我々指導者は、言語教育をおこなっていく必要があります。
もちろん我々指導者も、少年期に指導に携わる者として、自身の言語技術を磨き続けることで、より一層指導価値を高めていけると考えています。
なぜ自分を表現しないといけないのか?
人間は1人では生きていけません。助け合いながら生きていくことに、人生の価値が高まります。そのために自己表現はコミュニケーションを図れる大切な方法です。まずは家の中(安心・安全な環境)で親とのコミュニケーションを通して自分の考えを言葉で表現するところから始める。
小学年代から、言語技術を磨く教育が盛んになってほしいと思います。