大正~平成の農業動向:耕作面積・作付面積と農業従事者の推移

谷本一真
記事内に商品プロモーションを含む場合があります

ディープリサーチを用いて、日本の耕作及び作付面積と農業従事者数について調べてみました。
作付面積:農作物が植えられた土地の面積を指します。

全国と宇和島市における農業指標の変遷(各10年ごと)

大正時代から平成期にかけて、全国および愛媛県宇和島市の農業には大きな変化が見られました。以下の表に、各10年ごとの主要指標をまとめ、全国平均と宇和島市の比較を示します(耕作面積=耕地面積、作付面積は主な品目別)。宇和島市の値は現在の市域に相当する地域の推計値です。

年(年代)耕作面積(全国) (千ha)水稲作付面積(全国) (千ha)野菜作付面積(全国) (千ha)果樹栽培面積(全国) (千ha)耕作面積(宇和島市) (ha)水稲作付面積(宇和島市) (ha)野菜作付面積(宇和島市) (ha)果樹栽培面積(宇和島市) (ha)
1920年頃約5,700約2,500約300< 50(データ不詳)(データ不詳)(データ不詳)(データ不詳)
1930年頃約5,900約2,700約350< 50(旧市町村合算)(推定)(推定)(推定)
1940年頃約5,900約2,800約300< 50(旧市町村合算)(推定)(推定)(推定)
1950年約5,900約3,000約250~60約6,000~1,500~500~100
1960年6,0863,360 (推定)~300~80約5,800~1,400~600~200
1970年約5,600約3,100~350~120約5,500~1,200~600~300
1980年約5,000【52†Figure】約2,800~300~150約5,000~1,000~500~400
1990年約4,700【52†Figure】約2,700~280~140約4,700~900~450~400
2000年約4,600約2,600~250~130約4,500~800~400~350
2010年約4,400約2,500~240~120約4,300~700~350~300

※全国の耕作面積は1961年に約608.6万haでピークに達し、その後減少傾向です。2015年時点の水稲作付面積は約244.6万ha。宇和島市の果樹面積は主に温州ミカンなど柑橘類で占められ、1970年代に拡大後、現在は減少傾向にあります。宇和島市データは市域合併(2005年)前の旧自治体分を含む参考値です。

農業従事者数の推移(専業・兼業別)

農業就業人口(農業に従事する人数)も、時代とともに大きく変化しました。戦前は日本の総人口の半数近くが農業に携わっていましたが、現在ではわずか数%に過ぎません。専業農家(農業のみ従事)と兼業農家(農外収入も持つ)の構成も劇的に変化しています。以下の表に各年代の農業従事者数と、そのうち専業・兼業の別を示します(宇和島市は推計値)。

年(年代)農業従事者数(全国) (万人)専業従事者数 (万人)兼業従事者数 (万人)農業従事者数(宇和島市) (人)専業従事者数 (人)兼業従事者数 (人)
1920年頃約1,400大半が専業ごく一部データ不詳
1940年頃~1,300大半が専業一部兼業推定2~3万人大半が専業一部兼業
1960年約1,400約800 (約57%)約600 (43%)推定1万人以上多数が専業増加傾向
1970年約1,000~300 (30%)~700 (70%)数千人規模専業減少兼業多数
1980年約720~100 (<20%)~620 (>80%)数千人未満専業ごく少数兼業大半
1990年約480<80 (約15%)>400 (約85%)約3,000~4,000専業わずか兼業ほとんど
2000年約300<50>250約2,500専業わずか兼業ほとんど
2010年約260<40>220約2,000専業わずか兼業ほとんど
2020年249数十万人約200万人3,289(2020年)数百人約3,000人

※全国の農業就業人口は1960年前後まで約1,400万人でほぼ不変でしたが、その後急減し、2020年には250万人弱まで減少しました(約1/5~1/6に減少)。特に高度成長期以降、農家の兼業化率が飛躍的に上昇しました。1965年には農家戸数のうち専業農家21.5%に対し兼業農家78.5%となり、1980年代末には農業者の85%以上が兼業(農外収入を持つ)となっています。宇和島市でも同様に、現在は農業従事者の大半が他産業と兼業している状況だそうです。

以上の数表を踏まえて、各時代区分ごとに農地面積や作付構成、農業従事者の変化とその背景を分析します。

水稲(すいとう) とは、田んぼ(水田)で栽培されるイネ(稲)のことです。
一般的に、日本国内で「米作り」「稲作」と呼ばれる農業は、この水稲栽培を指します。

戦前(大正~昭和前期)の農業

全国: 戦前の日本は人口の過半数が農村に暮らし、農業が経済の中心でした。耕作面積は明治後期以降ほぼ横ばいで、大正~昭和初期も全国で約600万ha前後でした。米は主要作物で、20世紀前半を通じて水稲作付面積が全作物の過半を占め、他の作物面積を上回っていました。例えば1930年代には米作中心の農業で、自給的な麦・雑穀やイモ類も栽培されていました。果樹栽培は一部地域(リンゴ、柑橘など)で行われましたが、全国規模では面積はごく僅かでした。農業従事者数は依然として非常に多く、就業人口の約半分が第一次産業(農林水産業)に従事していたと推計されます。専業農家が基本で、農家は家族労働力で生計を立て、兼業は都市部近郊を除けば一般的ではありませんでした。

宇和島市周辺: 宇和島地域も戦前は農林水産業が主産業でした。温暖な気候を生かした稲作と甘藷(サツマイモ)などが中心で、沿岸部では早くから**柑橘類(ミカン)**栽培が始まっていました。大正5年(1916年)には宇和島市柿原地区で柿の栽培が導入されるなど、果樹も一部で試みられました。しかし全体としては米と雑穀中心の小規模農業で、農家はほぼ全員が専業農家でした。農業人口も地域住民の大部分を占め、宇和島市域では数万人規模が農業に従事していたと推測されます。

戦後復興期(昭和20年代)の農業

全国: 第二次大戦後、日本の農業は大きな転機を迎えました。GHQ主導の農地改革(1947年前後)によって小作制度が解体され、自作農が増加しました。これにより農民の経営意欲が向上し、生産性向上の基盤が築かれます。戦後直後は食糧不足を補うため、農地の拡大や二期作の奨励が図られ、水稲だけでなく甘藷や麦類などの作付も一時的に増えました。

しかし1950年代に入ると食糧事情は安定し、1955年にはコメの豊作で供給過剰が生じたほどでした。耕作面積は戦前から大きな変化はなく、1950年頃も約590万haで推移しました。ただし戦中戦後に荒廃した農地の復旧や開拓もあり、一部で耕地拡大が行われています。

農業人口は戦後直後も依然高水準でしたが、1950年代後半から他産業への転職が始まりつつありました。戦後復興期の農家は、基本的に農業専念でしたが、高度成長の兆しとともに兼業農家が都市近郊などで徐々に増え始めます。

宇和島市: 戦後の宇和島地域でも、農地改革により自作農が主体となりました。山がちな地形の宇和島では大規模開拓は限定的でしたが、棚田や谷間の農地が整備され、コメの増産に努めました。当時の宇和島は漁業も盛んでしたが、内陸部では農業復興が地域経済の要でした。

1940年代末~50年代、宇和島周辺でも食糧増産策として麦やイモ類の作付けが奨励されました。一方で宇和海沿岸では引き続き温州ミカンなど柑橘類の栽培が行われています。戦後間もない宇和島の農業従事者は非常に多く、地域人口の大多数が農業・漁業で生計を立てていた状況です。

小作制度:土地を持つ地主が、土地を持たない小作人に対し農地を貸し与え、小作人が収穫した作物の一部を地主に「小作料」として納める仕組みのことを指します。

高度経済成長期(昭和30~40年代)の農業

全国: 1955年頃から1970年代前半にかけての高度経済成長期、日本の産業構造は急速に転換しました。製造業・サービス業の発展により農村から都市への大量の人口移動が起こり、農業就業者が激減しました。

農業人口は、1960年に約1,400万人だったものが、1970年には1,000万人程度にまで減少しています。耕作面積は1960年代前半まで微増しましたが、1961年をピークに減少傾向に転じました(1961年608.6万ha→1970年560万ha台)。

この時期、水稲の作付面積は最大約336万haに達しましたが、その後コメ余剰問題が顕在化します。政府は1970年に減反政策(生産調整)を開始し、水稲面積の縮小に乗り出しました。その結果、米の作付面積は1970年代以降徐々に減少に向かいます。

代わりに、工業化が進む中で都市住民の野菜・果物需要が増えたため、野菜や果樹の栽培が商品作物として重要になりました。高度成長期にはみかん等の果樹園が各地で拡大し、リンゴ・ブドウなど落葉果樹栽培も盛んになります。

例えば愛媛県など温暖地では段々畑を利用した柑橘園が急増し、果樹栽培面積が戦前より大幅に拡大しました。農業技術面では農業機械化(トラクターやコンバインの普及)と化学肥料の投入増により、生産性が飛躍的に向上しました。その結果、米の単位収量も向上し、1960年代後半のコメ収穫量は年1,400万トンを超えて戦前を大きく上回りました。

一方で農業従事者の兼業化が急速に進みました。1965年には既に農家の約78.5%が何らかの兼業収入を得ており、専業農家は21.5%に過ぎなかったとの統計があります。

つまり、多くの農家は高度成長期に工場労働など「農業以外の仕事」に就きつつ、副業的に農業を営む形へ移行しました。この兼業化現象は農家所得向上に寄与しましたが、農業生産そのものは家族労働力の不足や高齢化の芽生えにつながりました。

宇和島市: 宇和島市(および合併前の吉田町・三間町・津島町を含む周辺地域)でも、高度成長期の影響で農業構造が大きく変わりました。若年労働力の多くが県外・都市部へ流出し、地域の農業人口は急減しました。農家の高齢化と兼業化が進行し、1960年代後半には宇和島でも半数以上の農家が兼業農家になったと考えられます。

耕作面積は地形的制約から大きな増減はありませんが、一部で耕作放棄も発生し始めました。一方、本地域特有の動きとして、柑橘類(みかん)栽培の拡大が挙げられます。宇和島市や吉田町はみかんの主要産地となり、昭和30~40年代に段々畑を開墾して温州みかん園が飛躍的に増加しました。これにより宇和島の果樹作付面積は1950年代から1970年代にかけて大幅に増え、農家にとって米以外の重要な現金収入源となりました。

ただし、1970年代後半には全国的なみかん過剰生産により価格が暴落し、宇和島でも「みかん山の廃園」や他作物への転換が課題となり始めます。野菜については、宇和島では大規模産地は少ないものの、自給用や地域消費向けに栽培が続けられました。

高度成長期末には宇和島の農業は米・みかんの二本柱となり、農家は米作を維持しつつみかん販売で現金収入を得るという経営が一般的でした。しかし人手不足は深刻化しつつあり、生産現場では省力化と機械導入が模索され始めていました。

「減反政策」とは、日本において米の生産量を意図的に減らすために政府主導で行われた政策のことです。具体的には、稲作農家に対し、水稲の作付け面積を減らすよう指導し、米以外の作物(麦や大豆、野菜、果物など)への転作を促すものでした。

平成初期~令和前期の農業

全国: 1990年代から2010年代は、日本経済の長期停滞期であり、農業も例外ではなく低成長と構造問題に直面しました。

まず農業就業者の高齢化・減少が一段と進行しました。1990年時点で約480万人いた農業就業人口は、この30年間で半減近くまで減り、2020年には250万人弱となっています。就業者の平均年齢は上昇し、65歳以上が農業従事者の7割前後を占めるようになりました。耕作面積は減少ペースが緩やかになりつつも縮小を続け、宅地化や高齢による耕作放棄地の増加で、2015年には約449万haまで減少しました。この頃までに水稲作付面積は戦後最大時の3分の2程度(約244万6千ha)に減っています。

一方で国内の食生活の多様化により、野菜・果物の需要構造が変化しました。野菜の消費量は横ばいか微減傾向で、生鮮野菜は一部輸入品や加工食品に置き換わり、野菜作付面積も徐々に減少しました。

果樹では、みかんやりんご等主要果実の消費低迷や価格低下により、多くの産地で作付縮小や高齢化による廃園が発生しました。例えば愛媛県のみかん園も1990年代以降面積が縮小し、全国的にも果樹栽培面積は減少傾向です。しかし一方で高付加価値の新品種果物(シャインマスカットなど)への転換や直売ビジネスなど、新たな取り組みも見られました。

政策面では、WTO体制下で農産物市場の国際化が進み、コメを含む農産物の一部自由化や減反政策の見直し(2018年に生産調整の事実上廃止)などが行われました。

この30年、農業者戸数も激減し、農家戸数は1950年代の550万戸から2015年には215万戸、2020年には175万戸まで減少しています。残った農家の中でも大規模経営体への集約がゆっくり進み、一部で法人経営(会社経営の農場)も増加しました。また国は認定農業者制度(経営改善計画の認定)や農地集積(人・農地プラン)などを推進してきましたが、農業全体の高齢化と規模縮小の流れを大きく変えるには至っていません。

宇和島市: 宇和島市における平成~令和初期の30年も、全国同様に農業の縮小と高齢化が顕著でした。1990年代にはまだ地域農業に活気が残っていましたが、その後若者の流出と高齢世代の引退で農業者数は減少の一途をたどりました。

宇和島市の基幹的農業従事者は2020年でわずか約1,000人強(農業に主として従事する人)まで減少し、兼業的に農業に関わる人を含めても3,000人余りに過ぎません。これは市総人口の数%程度で、高齢化も深刻です。耕地面積は地理的に大きな開発がない分ゆるやかな減少でしたが、それでも工作放棄が進み、棚田や山間の畑の一部が耕作放棄地となりました。

特に柑橘園では、高齢化と価格低迷で木を切り倒す例も見られ、宇和島市の柑橘栽培面積はピーク時から減少しています。それでも宇和島は愛媛有数のみかん産地であり続け、みかん園芸は地域農業の柱です。しかし近年では、高齢の農家が減少する中で担い手不足が深刻化し、生産量維持が課題となっています。

一方、宇和島市では地域の特産を活かした取り組みも模索されています。例えば真珠養殖や水産業との複合経営、柑橘を使った加工品開発、観光農園など、多角化の動きも平成以降見られました。ただし農業所得自体は全国的な低迷傾向にあり、この30年間で宇和島市の農業は規模が縮小し、高齢者が細々と続ける産業へと変容しました。

人口減少時代(令和以降)に向けた展望と課題

全国: 日本の総人口は2008年をピークに減少に転じ、「人口減少時代」が本格化しています。農村部の過疎化も一層進み、労働力不足と地域コミュニティの維持が深刻な問題です。

農業分野では、高齢化した農業者の引退が今後加速し、2035年には農業就業人口が現在の約1/3(64万人程度)にまで減少すると予測する試算もあります。これはまさに未曾有の構造転換期であり、農業のあり方を抜本的に見直す必要に迫られています。

国はスマート農業(ロボット・ICT活用)や大規模経営への集約、新規就農者支援など対策を打ち出しています。実際、近年1経営体あたり耕地面積は拡大傾向で、2020年に3.1haと2005年の1.9haから約1.6倍に拡大しました。これは生産者数減少に伴い農地が集約されていることを示します。

しかし、集約の進む地域は北海道など一部平坦地が中心で、中山間地域では担い手不足から放棄地拡大が懸念されます。また、人口減少で国内市場が縮小する中、農産物の輸出拡大や六次産業化(加工・流通まで含めた経営)による所得向上も課題です。加えて、気候変動による作柄への影響や自然災害の頻発もリスクとなっています。人口減少時代の農業は、労働力確保と生産性向上を両立しつつ、地域資源をどう維持管理するかという新たな局面を迎えています。

宇和島市: 宇和島市でも人口減少・高齢化が地域社会全体の課題であり、農業分野への影響も避けられません。農業後継者の不足が顕著で、集落によっては農地を維持できない所も出ています。宇和島市では、担い手育成のために認定農業者や集落営農組織への支援を行い、水田の集約的な管理や果樹園のオーナー制度などに取り組んでいます。

また、中山間地域等直接支払制度を活用し、傾斜地農業の維持にも努めています。幸い同市はみかんを筆頭に農産物ブランド力があります。高品質柑橘(例えば宇和島真珠のように宇和島柑橘もブランド化)や、キウイフルーツなど新品目への転換、さらには観光と連携した体験型農業など、新ビジネスの可能性も模索されています。

人口減少で地元消費が細る中、域外への販路開拓や輸出も視野に入れた戦略も引き続き必要だと思います。さらに、省力化技術(ドローン農薬散布やIoTによる環境制御)を導入し、高齢者でも管理しやすい農業へのシフトも求められています。宇和島市の農業は多様な資源(海と山の幸)に恵まれており、今後は地域の強みを生かした差別化によって持続可能性を高めていくことが引き続き重要だと思います。

おわりに

大正から平成にかけて、日本の農業は構造・規模ともに劇的な変化を遂げました。全国的には農地面積・農業人口とも大幅に縮小し、農家の生活様式も専業から兼業主体へと移行しました。

宇和島市のような地方農村でもその流れは共通しており、特に高度成長期以降の兼業化と農村人口流出の影響は大きかったと言えます。

一方で各時代において、その時々の背景要因があります。戦前は人口増による食糧需要増大に支えられた自給的農業、戦後は農地改革と復興による農民の自立、高度成長期には工業化に伴う農村労働力の転出と農業機械化、そして平成以降は経済停滞と人口減少による農業縮小と高齢化です。それぞれの時代背景が農業指標の変化(耕作面積や作付構成、従事者数)に反映されています。

農業は依然として国民生活の基盤であり、昨今では食料安全保障や持続可能性の観点からも再評価されています。人口減少が避けられない中、宇和島市を含む地域農業が持続していくためには、生産基盤の維持と新たな技術・人材の確保が不可欠です。過去の推移を踏まえ、地域に根差した小規模でも光る農業の両立が求められるでしょう。その意味で、大正から平成までの歴史的変遷を正しく把握することは、これからの農業政策・地域振興を考える上で重要な指針となると思います。

私は食料自給率は高める必要があると思います。宇和島市には海も山もあり、農業を支えてくださっている方々にもっと支援をする必要があると思います。健康に暮らすためには、地産地消の政策にもっと力を入れる必要があると思います。

参考文献

cigs.canon

spaceshipearth.jp

plenus.co.jp

en.wikipedia.org

en.wikipedia.org

naro.go.jp

自著を語る『国民のための「食と農」の授業』 | キヤノングローバル戦略研究所

https://cigs.canon/article/20220728_6917.html

Favicon

耕作放棄地とは?現状や問題とされる理由、解決策も

日本的種稻| 米圖書館| Plenus 米食文化研究所 – プレナス

https://www.plenus.co.jp/kome-academy/tc/kome_library/make.html

Favicon

Agriculture, forestry, and fishing in Japan – Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Agriculture,_forestry,_and_fishing_in_Japan

Favicon

Agriculture, forestry, and fishing in Japan – Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Agriculture,_forestry,_and_fishing_in_Japan

愛媛県宇和島市

https://www.machimura.maff.go.jp/machi/contents/38/203/details.html

Favicon

Re-thinking Rural Japan – Asia-Pacific Journal: Japan Focus

データベース『えひめの記憶』|生涯学習情報提供システム

https://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:2/34/view/4924

Favicon

The History of Japan’s Post-Pacific-War Rice Policy

https://ap.fftc.org.tw/article/542

Favicon

https://www.naro.go.jp/publicity_report/publication/files/carc_news_79.pdf

(1)基幹的農業従事者 – 農林水産省

https://www.maff.go.jp/j/wpaper/w_maff/r3/r3_h/trend/part1/chap1/c1_1_01.html

Favicon

[PDF] 農地・耕作放棄地面積の推移 – 内閣府

https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/2030tf/281114/shiryou1_2.pdf

Favicon

農家人口などのデータ | データで見る田んぼ | クボタのたんぼ [学んで楽しい!たんぼの総合情報サイト]

https://www.kubota.co.jp/kubotatanbo/data/population.html

Favicon

https://www.naro.go.jp/publicity_report/publication/files/carc_news_79.pdf

Favicon

作物統計調査 面積調査 長期累年耕地及び作付面積統計 1 本地・けい …

https://www.e-stat.go.jp/dbview?sid=0003320704

Favicon

ABOUT ME
谷本一真
谷本一真
理学療法士、呼吸療法認定士、心臓リハビリテーション指導士、PRP-Japan、JFA-B級
PRI(Postural Restoration Institute)コンセプトを基に、障害予防やパフォーマンス向上を目的としたコンディショニング指導を行っています。また、小学生を中心にサッカー指導者としても活動し、子どもたちの心身の成長をサポートさせていただいています。 運動や生活習慣の改善を通じて、健康づくりのサポートに情熱を注いでいます。
記事URLをコピーしました