「空気を読む力」は、いじめを生むのか——高文脈文化と対話について考えたこと——
主に取り上げる人物:ウスビ・サコさん
ウスビ・サコさんは、マリ共和国生まれで、京都大学大学院工学研究科建築学専攻博士課程を修了されています。専門は空間人類学で、京都精華大学人文学部教員、学部長を経て、2018年4月から2022年3月まで京都精華大学学長を務められました。²
この記事では、愛媛新聞の「いじめ再考 我慢重ねる『高文脈文化』」という記事を読んで考えたことをまとめます。特に、日本社会にある「空気を読む力」や「高文脈文化」が、いじめや排除とどのように関係するのかについて考えてみます。¹
はじめに
今朝の愛媛新聞で、空間人類学者のウスビ・サコさんが、日本社会の「高文脈文化」について語っている記事を読みました。¹
この記事を読んで、私は「空気を読む力」は日本社会の大切な力である一方で、いじめや排除にもつながる可能性があるのではないかと考えさせられました。
もちろん、高文脈文化そのものが、いじめの直接的な原因であると断定することはできません。
しかし、「言わなくても分かる」「普通はこうする」「空気を読めるはず」という前提が強くなりすぎると、違いを言葉にして確認する機会が少なくなるのではないかと感じます。
高文脈文化とは何か
高文脈文化とは、言葉そのものだけでなく、場の空気、関係性、表情、沈黙、立場、これまでの経験などを含めて意味を読み取るコミュニケーションのあり方です。³
文化人類学者エドワード・T・ホールは、文化によって「文脈」にどれだけ意味を置くかが異なると考えました。³
日本では、「空気を読む」「察する」「一を聞いて十を知る」といった言葉があります。
これらは、相手への配慮や、集団の調和を保つうえで役立つ面があります。
一方で、高文脈・低文脈という分類は、国や民族を単純に決めつけるためのものではありません。研究上も、ホールの高文脈・低文脈という概念の使い方には注意が必要であると指摘されています。⁴
そのため、「日本人は全員こうだ」と考えるのではなく、あくまで社会や集団の特徴を考えるための一つの視点として扱う必要があると思います。
「空気を読む力」は長所でもあり、苦しさにもなる
空気を読む力は、本来は大切な力だと思います。
相手の表情を見て声をかける。
場の雰囲気を感じて行動を調整する。
言葉にされていない不安や遠慮を察する。
こうした力は、家庭、学校、職場、スポーツチーム、地域活動の中で、人間関係を円滑にする働きがあります。
しかし、その力が強く求められすぎると、「分からない人」が責められる空気になることがあります。
「普通は分かるでしょ」
「なんで空気が読めないの」
「あの人はちょっと違う」
このような言葉が出てきたとき、そこには本来必要だったはずの説明や対話が抜け落ちているのかもしれません。
高文脈文化といじめの関係について考える
いじめ防止対策推進法では、いじめは、一定の人的関係にある児童生徒から心理的または物理的な影響を受け、対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているものと定義されています。⁵
つまり、いじめは殴る、蹴るといった身体的なものだけではありません。
無視、仲間外れ、陰口、雰囲気による排除も、本人が苦痛を感じていれば深刻な問題になります。
文部科学省の令和6年度調査では、小・中・高・特別支援学校におけるいじめの認知件数が約76万9千件、重大事態の発生件数が1,405件と報告されています。⁶また、UNESCOも、いじめには身体的ないじめだけでなく、からかい、侮辱、脅し、うわさ、集団からの排除などの心理的・関係的ないじめが含まれると説明しています。⁷
ここで、高文脈文化の難しさが見えてきます。
「言葉にしなくても伝わる」環境では、よい意味での配慮も生まれます。
しかし同時に、「言葉にされない排除」も起こりやすくなる可能性があります。
たとえば、誰かを直接責めていなくても、目線、沈黙、距離の取り方、グループの空気によって、「あなたはここに入ってはいけない」というメッセージが伝わってしまうことがあります。
だからこそ、いじめを考えるときには、「何を言ったか」だけでなく、「どのような空気がつくられていたか」も見ていく必要があるのではないかと思います。
共通の趣味や似た経験は、距離を縮める入口になる
一方で、この記事を読んで前向きに感じたこともあります。
どこの国でも、共通の趣味や似たような経験があれば、人と人との距離は縮まりやすくなるのではないかということです。
サッカーが好き。
同じ地域で育った。
同じ失敗をしたことがある。
同じ音楽や本が好き。
こうした共通点は、相手を「よく分からない人」から「少し分かる人」に変えてくれる入口になります。
異なる集団同士の接触が偏見の軽減につながることは、多くの研究をまとめたメタ分析でも示されています。⁸
ただし、大切なのは、ただ同じ場所にいることではなく、相手を知ろうとする関わりや、共通の目的を持った関係性だと思います。
相手を知るためには、問いを立て、自分についても語る
相手を知るためには、問いが必要です。
「どんなことが好きなのか」
「なぜそう考えたのか」
「何が不安だったのか」
「自分とはどこが違うのか」
そして、問いを投げるだけでなく、自分についても語ることが大切だと思います。
心理学の研究では、互いに少しずつ深い質問に答え合う自己開示の過程が、初対面の人同士の親密さを高める可能性が示されています。⁹
これは、日常の人間関係にも通じる話だと感じます。
相手にだけ説明を求めるのではなく、自分も語る。
相手の違いを責めるのではなく、自分の前提も見直す。
「分かってほしい」だけでなく、「分かろうとする」。
この往復の中で、対話が生まれるのではないでしょうか。
違いや差は、コミュニケーションの格好の端緒になる
私は、違いや差があること自体は問題ではないと思います。
むしろ、違いがあるからこそ、問いが生まれます。
問いが生まれるからこそ、対話が始まります。
対話が始まるからこそ、自分の考え方にも気づくことができます。
「普通はこう」と思ったときは、自分の普通がどこから来ているのかを考えるきっかけになります。
「空気が読めない」と感じたときは、何を共有できていなかったのかを確認するきっかけになります。
「あの人は違う」と感じたときは、その違いから何を学べるのかを考えるきっかけになります。
相手に違和感を持ったときは、黙って距離を取るのではなく、どの部分を言葉にして確認できるかを考えるきっかけになります。
違いは、避けるものではなく、コミュニケーションを始めるきっかけにできるのだと思います。
まとめ
今回の記事を読んで、私は「高文脈文化」を単に悪いものとして捉えるのではなく、丁寧に扱う必要があると感じました。
空気を読む力は、日本社会の大切な知恵の一つだと思います。
しかし、その力が「分かるはず」「察するべき」「違う人は外れる」という方向に働くと、人を苦しめる空気にもなってしまいます。
だからこそ、これから大切にしたいのは、空気を読む力に加えて、言葉にして確認する力ではないでしょうか。
相手を知るために問いを立てる。
自分についても語る。
共通点を見つける。
違いを排除ではなく、対話の入口にする。
いじめをなくすためには、制度や対応だけでなく、日々のコミュニケーションの質を見直すことも大切なのだと思います。
参考文献・引用文献
- 愛媛新聞. 「いじめ再考 我慢重ねる『高文脈文化』」2026年5月22日 朝刊. ※紙面記事のため、オンラインURLは確認できませんでした。
- 京都精華大学. 「ウスビ・サコ」. 参照日:2026年5月22日.
- Hall ET. (1976). Beyond Culture. Knopf Doubleday Publishing Group.
- Kittler MG, Rygl D, Mackinnon A. (2011). Beyond culture or beyond control? Reviewing the use of Hall’s high-/low-context concept. International Journal of Cross Cultural Management, 11(1), 63–82.
- 文部科学省. いじめ防止対策推進法(平成25年法律第71号).
- 文部科学省. 令和6年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果及びこれを踏まえた対応の充実について.
- UNESCO. (2020, updated 2023). What you need to know about school violence and bullying.
- Pettigrew TF, Tropp LR. (2006). A meta-analytic test of intergroup contact theory. Journal of Personality and Social Psychology, 90(5), 751–783.
- Aron A, Melinat E, Aron EN, Vallone RD, Bator RJ. (1997). The Experimental Generation of Interpersonal Closeness: A Procedure and Some Preliminary Findings. Personality and Social Psychology Bulletin, 23(4), 363–377.

