中国古典〜1日1言〜:3/14

3/14
我に諂諛する者は吾が賊なり
-諂諛我者吾賊也-
「荀子」
我に諂諛する者は吾が賊なり
諂諛:こびへつらうこと。
賊:人に危害を加えたり、物を奪ったりする者。
「耳にここちよい甘いことばをもって近づいてくる者は、みな賊のようなものだという。」
おべっかや甘い言葉に弱いのは、人間の常である。きついことを言ってくる相手よりも、心をくすぐるようなことを言ってくる相手を引き立てたくなるのは、人情の自然でもある。現に、どんな組織でも、そういうケースが少なくない。
だが、リーダーがそれをやっていたのでは、二重の意味で不幸である。
リーダーには厳しさが必要
現在、携わっているJYFCという中学校のサッカークラブチームがいます。そこでは私自身、選手たちに厳しさをもって指導できているかというと、必ずしもそうではありません。
中学生に対して、指導するうえで”嫌われたくない”という思いが私の中にあったのかもしれません。そういう気持ちで指導にあたると、本質を見失ってしまいます。
指導する以上、”選手たちをより良い選手にしたい”という熱い思いをもって指導にあたらないといけません。
人を思う気持ちというのは、行動の原動力として非常に大切なものです。
厳しさを教える
最近おもおうことがあります。それは、少年期に厳しさを教えることの重要性です。高校生までに厳しさを教えてあげないと、大人になって厳しい現実についていける免疫がつかないと感じています。
指導者/リーダーは、熱い想いをもって選手やスタッフと接しないといけません。私にはその熱量が欠けているとこの言葉を通して改めて気付かされます。
小学生は、精神的にも未熟な面がたくさんあり、厳しく接することができています。しかし、私が2015〜2019年間指導した子どもたちには礼儀や厳しさを強く指導しました。しかし、その子たちが中学生に上がってから私を慕ってきてくれる選手はいませんでした。ここで私は反省しました。小学生において大切なのは厳しさを教えることと熱意をもって一人一人と対話することが大切であることが大切であることです。あれほど小学生の時に挨拶をしてくれた選手が、中学生になると私に挨拶にきてくれなくなりました。
厳と愛
中学生になると、多感な時期になります。ましてや、現代においてSNSの発達によってさまざまな情報が飛び交う時代です。
普遍的なこととして、対面でもコミュニケーションの重要性は今後ますます価値の高いものになってくると思います。
そこで、諂諛する(媚びへつらう)のでなく、厳しく接することが大切です。
自分に諂諛してくる人物は、自分に危害を加える人間というふうに捉えて仲間選びには注意していくことも大切なのかもしれません。
そういった諂諛でなく、筋の通った人間でありたいです。
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