中国古典〜1日1言〜:6/12
6/12
己に如かざる者を友とするなかれ
-無友不如己者-
「論語」
己に如かざる者を友とするなかれ
友を選ぶときには必ず自分よりすぐれた人物を選べ、というのだ。その理由は言うまでもなく、自分を啓発するのに役立つからである。
「たとえば香りの高い花を活けた部屋に住みなれた人は、いつの間にかその芳香を体にしみつかせるものだ。これと同じで、すぐれた人物を友にもてば、長い間には自分もまた香気を放つ人間となるのである。だから、交友関係にはくれぐれも慎重でありたい」
実際には、さまざまな人間と交友関係を結んでいるのが現実である。だが、レベルの低い人間のなかでお山の大将を気取っていては、人間としての進歩が望めないことも事実である。
類は友を呼ぶ
「自分より優れた人物」というのは、何をもって優れているのか?という部分を明確にしておく事は大切だと思います。サッカーを例にしても、シュートが上手い選手もいれば、足下の技術に長けている選手、戦術理解に優れている選手などさまざまな特徴があります。サッカーが“自分より優れている”という面も、細分化すると自分も相手より優れている部分があると思います。そういった相手より優れている部分を何か一つ持つ(=特徴)ことが、大切です。
人生において、生きる意味の一つに仲間を作ることにあると思います。学校生活においても、仲間を作る社会経験の場でもあると私は考えています。勉強だけすれば良いわけではなく、仲間と出会うという場でもあります。自分より優れていると感じる友と出会わなければ、自身の価値をどんどん高める思考力を養っていけば良いと思います。そこで、学校生活において双方を高め合える存在(友人)と出会うことができれば、さらに成長を促すことができるでしょう。
学校の先生において、学力を高めることも確かに大切だと思いますが、思考力や社会力を養うことの重要性も大切です。大学から卒業して社会経験を経ずにそのまま先生になったような人物や、学びを止めてしまうような先生では、複雑な時代に一定基準の教育をおこなえるかどうか疑問です。本質を見間違えないような教育は大切です。
相手を評価する目
“自分より優れた人物”というのに、気づく目をもつことが大切です。少年サッカーの現場でも、自分の能力を過大評価する選手も存在します。そういった勘違いを起こさせない、気づかせることも大切だと思っています。そして、過小評価している選手には、もっとできる事を気づかせることも大切です。
小学年代の指導に携わっている指導者として、常に同じ教育ができるものでもありません。常々に知識を磨き魂を磨くことで、その時々に感じることを子供たちには指導していきます。
自分を評価する目
そして、自分という人間も客観的に評価する目を養うことも大切です。そこで大切になってくるのが自己分析です。言語化して文章にして整理すると、自分という存在を俯瞰して観ることができます。
よく”自分の長所と短所を知る“という自己分析をすることを言われますが、私はそれよりも感情にフォーカスした自己分析をすることがまずは良いのではないかと思います。”自分が好きなことや嫌いなこと“から分析し、自分がどのような心を持っているか整理することが、己を知る第一歩だと感じています。
己に如かざる者を友とするなかれとできるような人物であることが大切だと思います。
本書は人生を生きるうえで参考になることばがたくさんあります。ぜひ購入して普段の生活に役立てることをお勧めします。