中国古典〜1日1言〜:3/7
3/7
百年河清を俟つ
-百年俟河清-
「左伝」
百年河清を俟つ
いくら待ってもむだであること。時間が経過しても根本的な解決につながらないことのたとえ。
「河清」の「河」は黄河を指す。黄河は、いつも濁っていて澄むときがない。
この言葉は、もともとは『左伝』の次の話が出典である。
春秋時代、黄河の流域に鄭という小さな国があった。当時には北と南に二大勢力があり、鄭が南の楚という国の侵攻を受けたときのこと、降伏派と抵抗派と二派に分かれた。そのとき、降伏派の一人が「河の清むを俟たば、人寿、幾何ぞ」という古詩を引いて、強硬に降伏論を主張したという。
晋の援軍を待つのは、「河清を俟つ」ようなもので、一生かかっても待ちくたびれに終わる、というのだ。なんだか身につまされるような話ではないか。
助けを待たない
「誰かが助けてくれる」「誰かがしてくれる」など他人任せになってしまう人がいます。そういった人は弱い人間だと思います。そして、行動力のない人間です。誰かがしてくれるのではなく、自分から行動をすることが大切です。
助けを待つ人の特徴として、”人に良く見られたい”という思いが根底にあるのだと思います。現代において、SNSの発達によりより個人を表現できる時代になっています。自分の強みを作り、自分を表現できる人間は力をつけています。
助けを求める
助けを求めることは、非常に大切です。強がったり恥ずかしがったりして、助けを求めず状況を好転できないことがあります。
誰しもが難題に向き合ったり、状況が変化した時に戸惑い焦ることがあります。そういった時こそ、俯瞰的に物事を見るめを養い、周りに意見を求めたり助けを求めたりすることで状況が好転していくと思います。
助ける
人を助けるという行為を積み重ねることは大切だと思います。スポーツでは、常に助け合いによって試合が成り立っています。チームスポーツに関わらず個人スポーツでも、全て一人で行えるものではありません。家族の助けやスタッフの助け、そしてチームメイトの支えが必要です。
サッカーにおいて、ドリブルでゴールを目指す時には周りのサポートがないといけません。少年サッカーの現場では、うまくない選手ほどボールを受けるというサポートをする行為が少なくなります。そして、応用がききません。それは原則を理解しておらず基本能力が弱いことが一因としてあります。
人を助けるためには、能力を高める必要があります。それは、身体的な能力ではなく知的能力です。状況を理解し、改善するために自分に何ができてどう行動するか。このような思考をもつことが大切です。
また、このような考え方は人だけではなく地球を助けるという視点も必要だと思います。
万人が助け合いの精神で共に目的に向かって進んでいくことで一人一人の能力や個性が磨かれてくると思います。
本書は人生を生きるうえで参考になることばがたくさんあります。ぜひ購入して普段の生活に役立てることをお勧めします。