中国古典〜1日1言〜:1/23
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寛にして畏れられ、厳にして愛せらる
-寛而見畏、厳而見愛-
「宋名臣言行録」
寛にして畏れられ、厳にして愛せらる
寛:ひろく、ゆったりしていること。度量がひろいこと。
厳:きびしいこと
組織管理のコツは、「厳」と「寛」のバランスをとることにあるといわれる。
「寛」で臨むと愛され、「厳」で臨むと畏れられるのが一般である。だが、それはまだ低いレベルで、その逆が理想なのだという。それを語ったのが、この言葉である。
自分はまだまだ未熟な人間だ
そう思わされることばである。
人に好かれようとすると、その人に対して優しい態度をとろうとする。それが一般的だと考えていた。しかし、それは表面的な付き合いにすぎない。
大切なことは、自分の目的のために邁進する姿勢だ。
このバランスを獲得するには、自分に強い信念がないといけないと考えている。
私の信念は、「サッカーを通して人格形成の一助をする」「ヘルスケアで病気や怪我を予防する」ことだ。
その信念を貫くには仲間が必要だ。そのために、どのような組織を形成するかは大切なことだ。
良き指導者
スポーツ場面においては、この厳の姿勢をとることは容易だ。立場が明確であり、年齢差もはっきりしているケースが多いからだ。
厳を与えるには厳しいコーチング、厳しいトレーニングメニュー、厳しい教育をおこなえばよい。しかし、この厳を愛してもらうためには何が必要か。
それは指導者が「尊敬される人物」でなければならない。
特に、子どもたちには表面的な言葉しか伝わりにくい。しかし、その指導者が尊敬されていれば、そこには愛が伝わる。
自分が厳しい態度をとっても、愛される存在であるか?
これは、自分自身が成し遂げてきた結果や能力を客観的にみることが大切である。その結果や能力が、指導にみあう厳しさであるかどうかが大切になる。
能力が低いのに、選手に厳しい態度をとると、選手からはリスペクトされない。
これは宇和島JYFCの指導を見ても感じる。やはり、外部からの指導者や能力の高い指導者は尊敬されている。
能力の高い指導者になるためには、日々の努力を怠ってはいけない。