宇和島から国連へ——「平和の鐘」はどのように生まれ、何を伝え続けているのか
今回、「平和の鐘」について調べる機会がありました。
宇和島市は、国連本部にある「平和の鐘」と深い関係があります。宇和島で暮らしていても、この鐘がどのようにして生まれ、なぜニューヨークの国連本部に置かれることになったのか、その歴史を詳しく知る機会は多くないかもしれません。
そこで今回は、宇和島から始まった「平和の鐘」の歴史を調べてみました。
調べていくと、これは単なる鐘の歴史ではありませんでした。
一人の戦争体験から生まれた思いが、世界中の人々を巻き込み、70年以上が経った現在も国連で鳴り続けている物語でした。
1. 平和の鐘の原点は宇和島にある
国連本部の「平和の鐘」を考えるうえで欠かせない人物が、中川千代治(なかがわ・ちよじ)氏です。
中川氏は後に宇和島市長を務めますが、「平和の鐘」の活動を始めたのは市長になる以前でした。
国連平和の鐘を守る会の記録によると、中川氏は第二次世界大戦中、ビルマ戦線に従軍しました。激しい戦闘で部隊が大きな被害を受け、自身も負傷するという体験をしています²。
戦争から生還した中川氏が強く抱くようになったのが、
「二度と戦争をしてはいけない」
という思いでした²。
つまり、「平和の鐘」は最初から国連の企画として始まったものではありません。
その出発点には、戦争を経験した宇和島の一人の人間の体験がありました。
2. 1950年、泰平寺に生まれた最初の鐘
戦後、中川氏は宇和島市の泰平寺を訪れます。
当時、泰平寺の鐘は戦時中の金属供出によって失われ、鐘楼が空になっていました。
そこで中川氏は、戦場に携えていた軍刀と、戦後に集めた26カ国の硬貨などを溶かして鐘をつくり、1950年(昭和25年)に泰平寺へ奉納しました²。
その鐘には、
「世界絶対平和萬歳」
という願いが込められました。
ここが、現在の国連「平和の鐘」につながる原点です。
興味深いのは、単に新しい金属を使って鐘をつくったのではないことです。
戦争で使った軍刀と、国境を越えて集めた各国の硬貨。
「戦争」を象徴するものと、「世界の人々」を象徴するものを一つに溶かし、平和を願う鐘へと変えているところに、中川氏の思想が表れているように感じます。
3. 1951年、宇和島の構想が国連へ向かう
翌1951年(昭和26年)、中川氏はパリで開かれた第6回国連総会に、日本国際連合協会の関係者としてオブザーバー参加しました¹²。
当時、日本はまだ国際連合に加盟していません。
その場で中川氏は、
世界中の人々から硬貨を集め、その人々の平和への願いを一つの鐘にして国連へ贈る
という構想を提案しました²。
そして各国の代表者などから、硬貨やメダルが集められていきます。
国連の公式資料によると、鐘には加盟国代表者やローマ教皇、さらに子どもたちを含む60を超える国々の人々から寄せられた硬貨やメダルが使われました¹。
国連平和の鐘を守る会の記録では、日本国内でも宇和島市民をはじめ多くの人々が協力し、古銭だけではなく、日本刀のつば、弾丸、銅章、宗教関係のバッジなども集まったとされています²。
つまり、この鐘そのものが、さまざまな国・宗教・立場の人々の思いを溶かし合わせたものだと言えます。
4. 1954年、「平和の鐘」が国連本部へ
1953年12月、完成した鐘の壮行会が宇和島市の城南中学校校庭で行われ、小中学生約1,500人が参加したと記録されています²。
その後、鐘は横浜港からニューヨークへ送られました。
そして1954年(昭和29年)6月8日、ニューヨークの国連本部で贈呈式が行われました²。
ここで一つ、表現として整理しておきたい点があります。
「中川千代治氏が国連に平和の鐘を寄贈した」と紹介されることが多いのですが、国連公式資料では、中川氏が提唱・推進した鐘を、日本国際連合協会が1954年6月に国連へ寄贈したとされています¹。
したがって、より正確には、
中川千代治氏が構想し、多くの人々の協力によってつくられ、日本国際連合協会を通して国連へ贈られた鐘
と捉えるのがよさそうです。
こうして宇和島から始まった平和への願いは、国際連合という世界規模の舞台へ届くことになりました。
5. 1970年大阪万博と「姉妹鐘」
「平和の鐘」の歴史は1954年で終わりません。
1970年(昭和45年)に大阪で日本万国博覧会が開催された際、ニューヨークの国連本部に置かれていた平和の鐘が16年ぶりに日本へ里帰りし、万博の国連館で展示されました³。
しかし、鐘が日本へ移されている間、国連本部の鐘楼が空になります。
そこで中川氏は、世界133カ国の人々から集めた硬貨などを用いて、もう一つの「平和の鐘」を制作しました³。
この鐘が、現在「姉妹鐘」と呼ばれているものです。
大阪万博終了後、最初の平和の鐘はニューヨークの国連本部へ戻り、留守を守っていた姉妹鐘は大阪の万博記念公園へ寄贈されました³。現在はEXPO’70パビリオン前に設置されています。
2015年には、この姉妹鐘が宇和島へ里帰りし、きさいや広場で記念式典や国際平和デーに合わせた鐘打が行われました⁵。
宇和島から生まれた鐘が、
宇和島 → ニューヨーク → 大阪 → 再び宇和島
と時代を越えてつながってきたことになります。

6. 宇和島市が受け継いだ「世界絶対平和都市」という思想
中川千代治氏は1959年に宇和島市長となり、その後も平和への活動を続けました。
そして1971年(昭和46年)11月6日、宇和島市制施行50周年を記念して、当時の中川市長のもと旧宇和島市は「世界絶対平和都市宣言」を行いました⁴。
その後、2005年に旧宇和島市、吉田町、三間町、津島町が合併します。
新しい宇和島市となった後もこの理念は受け継がれ、2013年(平成25年)6月26日、改めて「世界絶対平和都市宣言」が決議されました⁴。
その宣言の中で宇和島市自身が、
「世界平和の鐘」発祥の地
と位置づけています⁴。
私自身、この歴史を調べるまで、宇和島市と国連本部の平和の鐘がここまで直接的につながっていることを知りませんでした。
宇和島の歴史を考えるうえでも、もう少し広く知られてよい物語なのではないかと思います。
7. 現在、「平和の鐘」はどのような役割を持っているのか
70年以上が経った現在も、ニューヨーク国連本部の平和の鐘は現役です。
国連では伝統的に、春分の日と9月21日の「国際平和デー」に平和の鐘を鳴らすことが続けられています¹。
直近では2025年9月12日、国際平和デーに先立つ式典で、アントニオ・グテーレス国連事務総長らが参加する中、平和の鐘が鳴らされました⁶。
つまり現在の「平和の鐘」には、少なくとも三つの役割があると考えられます。
- 国連における平和の象徴として、世界に平和を訴える役割
- 宇和島の歴史を次の世代へ伝える地域の記憶としての役割
- 戦争や平和について、私たち一人ひとりが考えるきっかけとしての役割
鐘そのものはニューヨークにありますが、その原点となった歴史は宇和島に残っています。
だからこそ、「平和の鐘」を国連にある世界的な象徴として見るだけではなく、宇和島の地域史として次の世代へ伝えていくことにも意味があるのではないでしょうか。

8. 平和を「遠い世界の話」にしないために
ここからは私自身の考えです。
「世界平和」という言葉は、とても大きく、自分たちの生活から遠い話のように感じることがあります。
しかし平和の鐘の歴史を調べると、その始まりは国連でも国家でもありませんでした。
宇和島に暮らした一人の人間が、戦争を経験し、
「二度と戦争をしてはいけない」
と考えたことから始まっています。
そして、その思いに共感する人が一人、また一人と増えていきました。
世界各地から硬貨やメダルが集まり、それらが一つの鐘として形になり、最終的には国連本部へ届けられました。
そう考えると、平和というものも、最初から巨大なものとして存在するのではなく、一人ひとりが何を考え、何を次の世代へ伝えるかという小さな積み重ねからつくられていくのかもしれません。
今回、「平和の鐘」について調べたことで、世界の出来事を知るだけでなく、まず自分の住む宇和島の歴史を知ることも、とても大切なのだと改めて感じました。
9. まとめ——宇和島から始まった鐘は、今も世界で鳴っている
宇和島の泰平寺につくられた一つの鐘。
そこから中川千代治氏の構想は世界へ広がり、世界中の人々から集めた硬貨やメダルが一つの鐘となりました。
1954年、その鐘はニューヨークの国連本部へ。
1970年には大阪万博へ里帰りし、その過程でもう一つの姉妹鐘が生まれました。
そして現在も、国際平和デーなどに国連本部で「平和の鐘」が鳴らされています。
70年以上前、宇和島の一人の人間が抱いた思いが、今も世界へ響き続けている。
そのこと自体が、宇和島に残された大切な歴史の一つではないでしょうか。
「平和の鐘」の音を直接聞いたことがなくても、その鐘がなぜ生まれたのかを知ることはできます。
そして、その歴史を知った私たちが、次に何を考え、何を伝えていくのか。
そこまで含めて、「平和の鐘」の物語は今も続いているのだと思います。
参考文献・参考資料
- United Nations. The Peace Bell – International Day of Peace.
- 一般社団法人 国連平和の鐘を守る会. 平和の鐘の成り立ち.
- 万博記念公園. 平和の鐘.
- 宇和島市. 世界絶対平和都市宣言.
- 宇和島市.(2015)広報うわじま平成27年9月号―「国連平和の鐘 姉妹鐘」里帰り記念式典・2015国際平和デー.
- United Nations.(2025)Peace Bell Ceremony on Occasion of International Day of Peace 2025.

