無私の日本人

『無私の日本人』(磯田道史 著)は、江戸時代を舞台に、「私」を捨て、公のために生き抜いた三人の人物を通じて、「人間が生きる上で本当に大切なこととは何か」を深く考えさせてくれる作品です。特に心を動かされた人物や言葉を取り上げ、その生き様を通じて得た学びを述べていきたいと思います。
1.殻田屋十三郎(からたや じゅうざぶろう)
殻田屋十三郎は、仙台藩で活躍した豪商でしたが、自分の財産を惜しみなく投じて、地域住民を洪水の危険から守るための治水事業を行いました。通常、このような公共事業は行政が行うべきものであるとされていますが、彼は行政の支援を待つことなく、自ら行動しました。
彼の言葉に、
「身代を尽くしても、後の世が良くなるならば悔いはない。」
というものがあります。
十三郎のこの無私の姿勢には深く感銘を受けました。現代の私たちも、自己の利益ばかりを追求せず、公共のために貢献する精神を持つことの大切さを改めて考えさせられました。
2.中根東里(なかね とうり)
中根東里は、江戸時代の儒学者であり、教育者でした。彼は地位や名誉、富を求めることなく、ただ人を育てることに生涯を捧げました。東里の教育は、知識の伝授だけでなく、人格や道徳心を育てることを重視したとされています。
東里の言葉に、
「富や名誉より、人のために尽くすことこそ、人として最高の道である。」
というものがあります。
この言葉を通じて、教育とは知識を教えるだけでなく、人格を形成する場でもあることを改めて認識させられました。
3.大田垣蓮月(おおたがき れんげつ)
蓮月は江戸時代末期から明治初期にかけて活躍した女流歌人で陶芸家です。数々の悲しみを経験しながらも、彼女は蓮月焼を創作し、その利益を貧しい人々の救済に使い、自らは質素な生活を続けました。
蓮月は次のように語っています。
「我がために生きず、他のために生きることこそ、真の喜びなり。」
彼女の人生からは、自分の苦難にとらわれず、他者に心を寄せることの強さや美しさを学びました。
『無私の日本人』に描かれた三人の人物を通じて、私は「無私の精神」が持つ普遍的な価値に気づかされました。現代社会は競争や自己利益の追求が中心となりがちですが、本書を読んで、日常の中に少しでも利他の精神を取り入れ、公のために行動することの意義を深く考えさせられました。
人間として本当に豊かな生き方とは何かを教えてくれる一冊です。ぜひ多くの方に読んでいただきたいと思います。