中国古典〜1日1言〜:7/11

-人道は盈を悪みて謙を好む-
「易経」
盈:もともとの意味は「満つる」で、満ち足りた状態、昇りつめた状態をいう。
(ここでは、驕慢とか傲慢という意味で使われている)
謙:控え目で、つつましいこと。また、へりくだって、すなおに相手の意見などを受け入れることです。
易経はこう語っている。
「天道は盈を虧きて謙に益し、地動は盈を変じて謙に流き、鬼人は盈を害して謙に福す」
世に処するにはすべからく「謙」を旨としたいものだが、とくに人の上に立つ者ほど、これを忘れてはならない。

満足は良いことか?
人間の性として、「満足する結果」を求めるのではないでしょうか。しかし、
フットボールヴィセラルトレーニングにおいて、スティーブン・マフノヴィチこのような記述があります。
サッカーのアーティストは素晴らしい技術的なバックグランドを持ち、驚くような妙技で大衆を驚かせ、喜ばせることができるが、それでも…何かが欠けている。
私たちは皆、不思議に何かが欠けているコンサートや演劇を鑑賞した経験があるはずだ

個人的には、盈が悪いわけではないと思いますがその先(同じモノでの将来性)はないのかなと思います。
満足した事が、ほかの分野に転移できるのであれば良いと思います。
諸刃の剣
この言葉では、盈より謙を推奨していると私は受け取っています。たしかに、処世術として謙は重要であると思います。
しかし、謙は本当に良いことなのでしょうか?
謙すぎるのは自己主張や自己表現の機会を減少させたり、結果として自己を高める機会を減少させるのではないでしょうか。
「失敗こそ、賢さの師匠だ」

という言葉がある。特に、子供には失敗することは重要です。親やまわりの大人が子供を賢くするためには失敗したあとのフォローがなによりも大切な教育だと思います。失敗を回避させるような声かけよりも、失敗を経験させて改善させることが賢さへの第一歩だと思います。
謙を優先しすぎて、自分を傷つけないようにすることも大切だと思います。
完璧な人間
完璧な人間はこの世に存在しないと思います。(何をもって完璧かにもよりますが)
人間が魅力的なのは、不完全さにあると思います。現代社会も、さまざまな思想があり完璧な世界というのはないのかもしれません。
不完全な人間とその不完全な人間がつくる社会の中で生きていくために、何が重要で何が優先かを個人個人がしっかり考えて行動を積み重ねていくことが、重要だと思います。

本書は人生を生きるうえで参考になることばがたくさんあります。