中国古典〜1日1言〜:6/8
6/8
大弁は訥なるが如し
-大弁如訥-
「老子」
大弁は訥なるが如し
大弁:すぐれた弁舌
訥:口が重い、口べた
訥弁:なめらかでないへたなしゃべり方
真の雄弁は訥弁と変わりがない、というのだ。
雄弁よりも訥弁、訥弁よりも無言の説得をよしとする考え方に他ならない。
ことごとく逆説的表現であるが、それでいてある真実を的確にとらえている。それは、「大弁は訥なるが如し」の一句をとりあげてみても明らかであろう。
ここで『老子』の言わんとしているのは、しゃべり過ぎの害である。しゃべり過ぎは百害あって一利なしだ。
本質を捉える心
ここで言われているのは、社会で生き抜いていくために自分の粗ををさらさないための予防策を提言しているように捉えてしまいます。
しかし、大人になると要点を的確に説明したり、指摘したりする語彙力と理解力を深めた上での表現力を磨かなければいけないと思います。
そこで大切なのは議論をする習慣をつくることです。この言葉で大切だと思うことは、「弁=話すこと」です。弁の能力を高めるためには、話す機会を増やさなければなりません。
どのようなテーマでも、議論がおこなえることは大切です。テーマへの知識(知識がなければ調べる調査力)、自分の考えを作る思考、相手へ伝える話術は大人になってから有効な武器になります。そういった社会で人と人とのつながりの中で、自分の価値を表現することも立派な技術です。
そして、この言葉で表現されている「無言の説得をよしとする」ことは、誰しもに当てはまるものではないと思います。訥弁であることが、無言の説得ができる条件であると私は思います。
そういった訥弁の能力をもった人物でないと、無言の説得はできないと思います。
恥の文化を変える
日本人の侘び寂びの文化が、議論をするなかで自分の恥をさらさない心構えを生んでいるのかもしれません。
侘び寂び:日本の美意識の一つ。貧困と孤独のなかに心の充足をみいだそうとする意識。(Wikipediaより)
たしかに、奥深いものは豊かなものを感じることができるかもしれません。しかし、これも無言の説得と同じで、個人の能力ありきです。誰しもに扱える雰囲気ではないと思います。個人の能力を高めるためには、結果をだすことが必要です。結果を出すことで他者から評価されることを繰り返さないといけません。
そういった自身の価値を高める結果を出し続けていくことが、自信を深めて侘び寂びを身に纏い、無言の説得をよしとする人間となれるのではないかと思います。
本書は人生を生きるうえで参考になることばがたくさんあります。ぜひ購入して普段の生活に役立てることをお勧めします。