中国古典〜1日1言〜:2/2

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小人の学は耳より入りて口より出ず
-小人之学也入乎耳、出乎口-
「荀子」
小人の学は耳より入りて口より出ず
口耳の学:耳で聞きかじったことをそのままた人に受け売りするのだから、少しも自分の身につかない。そんな学問のことを「口耳の学」と呼んでいる。
荀子:儒学者。
自分を向上させるには、学ことを忘れてはならない。だが、同じ学ぶにしても、「口耳の学」のような学び方では、かえって有害無益なのだという。
現代人で多い“口耳の学”
今の世の中、SNSの発達により口耳の学で学ぶ人が多いのではないでしょうか?
テレビやSNSなどは、専門家とされる人が言ったことをそのまま鵜呑みにしてしまう傾向があると思います。
しかし、その専門家が100%本当の事を言っているとは限りません。私も理学療法士という専門職ですが、同じ理学療法士でも情報が古く間違ったことを言ったり、勉強不足でより良い手段があるのにその手段をとらなかったりと、専門家でも偏りがあります。
ここでは口耳の学を“有害”と捉えています。
コロナウイルスに関する情報も私は同じだと思います。日本のタブー3.0という著書に、コロナウイルス関連で出演している専門家は、製薬会社から多額の資金を得ているという記載がありました。
情報を早く得ることができる時代ですが、時間をかけて得る情報にこそ自分を高めるための付加価値が高くつくのだと思います。
統計学を学ぶことの重要性が、こういったところにあると考えています。一次資料を見る癖をつけ、物事の本質を追求する姿勢を時間をかけて身につけることが、情報リテラシーを高めるための手段だと私は考えています。
自分を向上させるために学ぶ
著書の中で、
むかしの人は、自分のために学問に励んだが、今の人は他人のために学問をしている。
君子は学問によって自分を向上させるが、小人は学問によって自分を売り物にしている。
とあります。
これは私自身にも当てはまる部分があります。自分の商品価値を高めるために学ぶという視点が私にはありました。
しかし、学ぶということは自分自身をより良くするためであるということに気付かされます。その結果が、他者に良い影響を与えるのだと思います。
その順番を間違えてはいけないと私は思います。
学びは現場にある
スポーツにおいての1番の学びは現場にあると私は思います。
現場でどのようなことが行われているのか?SNSだけで分かったつもりになるのが1番怖いと思います。
少年サッカーにおいて、やはり大切なのは実戦だと思います。トレーニングも良いですが、試合で良いプレーをしてチームを勝たせるために日々トレーニングをしています。
サッカーの楽しさに“試合をして勝つ”というところが本質だと思います。
人間は昔から競い合い、戦争に勝利して生存してきた歴史があります。そのような遺伝子が私たちの体には存在していると思います。
サッカーやスポーツにファンが存在するのは、“応援するチームが勝つことにより優越感”を得られるからかもしれません。戦争などという無益な戦いではなく、ルールにのっとって正々堂々と戦うところに心を揺さぶられます。
サッカーなどの試合も、映像で見るのと生で見るのでは、全く捉え方が違います。
スポーツでいうと、現場でどのようなことが起こっているのかを知ることが、一次資料にふれる大切な学びなのだと思います。

本書は人生を生きるうえで参考になることばがたくさんあります。ぜひ購入して普段の生活に役立てることをお勧めします。