中国古典〜1日1言〜:1/17

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飽食終日、心を用うる所なきは、難きかな
-飽食終日、無所用心、難矣-
「論語」
飽食終日、心を用うる所なきは、難きかな
「飲んで食べてごろごろして、さっぱり頭を使わない連中は、まったく困ったものだ」と孔子が語ったことば。
この後にさらに次の一句をつけ加えている
「博奕なるものあらずや、これをなすはなお己に賢れり」
博奕=賭け事(現代ではパチンコや麻雀など)
たとえそれがなんであれ、やる気を出し、頭を使っていれば、そこに人間としての成長があり、進歩がある。
ごろごろしてやる気のない人間には、成長も進歩もない。
とにかく頭を使う
今の世の中は、遊びが生業として成り立つ社会となってきている。
ゲームのプロは何億も稼ぐ選手もいる。https://web-camp.io/magazine/archives/42145
この一句では、やる気なく頭を使わないと何も成長がないといっている。
人間には知性がある。
知性とは
「物事を知り、考え、判断する能力。人間の、知的作用を営む能力」
「比較・抽象・概念化・判断・推理などの機能によって、感覚的所与を認識にまでつくりあげる精神的能力」
この知性を磨くために、「考え・行動する」ことを繰り返す必要がある。
知性を鍛えることは、人生をより豊かにするために必要なことだ。
遊びやスポーツは頭を使う
現代の小学生には、ゲームが普及している。
この句のように、ゲームでも頭を使えばそこに「人間としての成長があり進歩がある」と捉えることができる。
しかし、現代社会においては少年期にゲームをしすぎると他者とのコミュニケーションスキルが低下すると私は危惧している。
昭和の少年期の遊びといえば、缶蹴りや鬼ごっこなど集団の中でコミュニケーションを図らないといけない。
しかし、現代では画面上で1人で完結してしまう。
なので、少年期にはスポーツクラブでの活動がより大切になってくると感じている。
集団の中に身を投じ、そのなかでさまざまな人間と触れ、違う考え方を知ることで知性を磨くことができる。
「上善如水」の句にあるように、柔和な対応で謙虚に学ぶことは、知性を鍛えるために必要な姿勢である。
少年サッカーを通して、少しでも人格形成に良い影響を与えられるように、日々努力していく。
