中国古典:無恒産、因無恒心

恒産なければ因って恒心なし
-無恒産、因無恒心-
「孟子」
恒産:生活を支えるに足るだけの安定しさ収入、資産
恒心:どんなに困っても悪に走らない心
恒心を持ち続けるためには、その前提として、しっかりした生活設計が必要になるということだ。
少年サッカーをしている子どもたちの目は、とても綺麗です。特に小学校低学年ほど、目がきらきらしています。
それは、「怖いものがわからない≒遠慮がない」ことにも反映していると思います。
生活は家族に守られており、安定した環境に身を置けます。小学校低学年で、恒心がない子どもは非常に少ないと思います。それは安心と安全な環境に身を置いていることが、悪に走らない心につながっていると思います。
しかし、成長するにつれて、次第に恒心が薄れていく子たちもいます。
その理由の一つが恒産なのかなと思います。
学力の経済学という本を執筆された中室さんも、経済的格差が教育の影響を与えることは否めないことを記しています。
そして、その恒産がある家族というのは教育レベルも高いのだと思います。「医者の子供は医者」ということばもありますが、教育と経済力の格差が生じていることは事実だと思います。
恒産をもつことは、努力が必要です。今の時代は情報収集力と行動力が大切だと思います。恒心を育むために、恒産が必要であるということが昔から言われていることが、現代でも通じるところに核心があるのだと思います。
スポーツにおいての試合に出場することの重要性
サッカーにおいて小学校高学年になるにつれて、技術力や身体能力の差が生まれてきます。そして、公式戦など緊張感のある試合が多くなってきます。
これまで試合に出ることができていた選手たちが、実力の差で試合に出られなくなってきます。”試合にでられない”という一種の恐怖心が生じてしまいます。
すると、子どもたちは次第に「遠慮」を覚えてきます。それは人間社会においては必要な気配りであると思います。しかし同時に、子どもたちのパワーを奪ってしまっているのではないかという不安もあります。
私が指導している少年サッカーチームは、なるべく試合に出られない選手をつくらないようにしています。公式戦もなるべく選手全員が出場させています。しかし、勝利のためには技術力や身体能力が高い選手を使用するのは王道です。
子どもたちも、次第に言葉にしなくても相手の気持ちを察することができてきます。この年代から非認知能力が養われていきます。
これまで試合に出られなければ「えー」と言っていた選手が、ある時何も言わなくなります。
スポーツで人間力を鍛えることは大切だと思います。しかし、それと同時にスポーツを楽しむためには、やはり試合をこなす必要があると思います。
少年スポーツにおいては、公式戦でも「選手全員が出場できる仕組み作り」は、人間教育においても大切だと思います。
こちらのツイートにもあるように、少年サッカーも1クオーター制にして、前半と後半の間に、選手全員が試合に出場できるような試合枠を設けるべきだと私も思います。
小学校年代では、健全なスポーツ教育ができる環境が整っていくように微力ですが邁進していきたいと思います。
