中国古典〜1日1言〜:6/7
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善く問いを待つ者は鐘を撞くが如し
-善待問者如撞鐘-
「礼記」
善く問いを待つ者は鐘を撞くが如し
現代は教師の受難時代だといわれる。教師の側にも問題はあるかもしれないが、しかし、やる気のない生徒をなだめすかして教えなければならないとは、なんともご苦労なことである。
善く問いを待つ者:立派な教師という意味
鐘を撞くが如しとは、つぎのようなことである。
「これを叩くに小なる者を以ってすれば少しく鳴り、これを叩くに大なる者を以ってすれば大いに鳴る」
つまり、教えを受けるほうの叩き方いかんで、大きくも鳴れば、小さくも鳴るのだという。
だから、まず問わなければならないのは、生徒の叩き方だということになる。
これは学校だけではなく、仕事の場においてもまったく同じことが言えるかもしれない。
成功=大きな音色を世界に響かせる
この言葉も、比喩を使った素晴らしい言葉だと思います。双方の視点から教育を捉えることができます。
世界を芸術の視点でみることができると、心に余裕が少し生まれるかもしれません。世界や日本や地元が、今はどのような色で混沌としているのか、そして自身がそこでどのような色を足すことができ他と融合したり、他を迎合しながら音色を響かせることができるか、人生を楽しみのある側面からみることができます。
そのためにも、まずは善く問いを持つための学びを続けて知識を蓄え、善く問いを持つ者にならなることが、社会人として大切な役割だと思います。
叩く側(教育者)
音色を奏でるためには、叩く側=指導者がどのような形で叩いていくかが大切です。日本刀も同じで、強い刃を作るためには、叩き方が大切です。
私であれば、どのような熱意をもってサッカーに向き合っていくか。そして子供たちへ指導をするにあたり、自身の熱量をどのような形で選手たちへ伝えていくか。語彙力や選手の状況に応じた言葉選びや、感情の抑揚をきかせた発語が大切だと思っています。
そして、ど真面目に向かっていくことが全てではありません。時にはユーモアも出せるぐらいの心の余裕を持ち、工夫をして物事に対応する心構えが大切だと思います。
叩かれる側(学生)
叩かれる側が、どのような心の器をもっているかも大きな音色を響かせるために大切なことです。
少年サッカーの現場においても、同じ指導をしているのに成長力に違いが生じます。やはり、サッカーが好きな子やもっと上手くなりたいという子は、そうでない子と比べて大きく成長しています。
双方の質と調律がうまくいくと、まわりを変えられるぐらいの大きな音色を響きわたらせることができるかもしれません。
本書は人生を生きるうえで参考になることばがたくさんあります。ぜひ購入して普段の生活に役立てることをお勧めします。