中国古典〜1日1言〜:6/28

6/28
人の悪を攻むるには、太だ厳なることなかれ
-攻人之悪、太厳毋-
「菜根譚」
人の悪を攻むるには、太だ厳なることなかれ
人を叱るときには、あまり厳しい態度で臨んではならない。さらに、「相手に受け入れられる限度を心得ておくべきだ」と菜根譚では付け加えている。
会社の部下や自分の子供であったら、立場上、放置しておくことは許されない。それさえ叱れないようでは、それはもはや責任放棄に等しいのではないか。
厳しすぎるとなぜまずいのか。言うまでもなく、相手の反発を買って、その割に説得効果があらわれないからだ。感情的になってどなりちらすような叱り方は、もっとまずいと言えるかもしれない。
叱るという行為の責任
人は誰でも叱りたくて叱るわけではないと信じたい。私自身も、少年サッカーの現場において“叱る”という行為は極力控えるようにしている。“叱る”ではなく“教育”という考えが大切だと思います。
時に意見がぶつかったり、不貞腐れた態度をとる選手もいます。しかし、それにはそこに至った感情があります。その感情を理解してあげることも、指導者として大切なことだと思います。
そして、この言葉にある「相手に受けいれられる態度を心得ておくべき」という姿勢は、教育者たるもの常に心がけなければならないでしょう。
そういった姿勢でも、怠惰な態度をとったり道理から外れた子供には、しっかりと叱ることが大切だと思います。小学生や中学生など、思春期における心が不安定が時期においてダメなものはダメとしっかり叱ってくれる大人の存在というのは非常に稀有な現代になっているのかもしれません。
厳と寛のバランス
こういった観点からも、厳と寛のバランスは非常に大切なのだと思います。このバランス感覚を得るには、経験と知識というのが大切になってくると思います。そして、どのような思想を持っているかという点も大切です。一神教のように、物語がハッキリとして信仰心が培われやすいものがあれば、教育ももしかするとおこないやすいのかもしれません。
しかし、日本は多神教だと思います。いろいろな思想が入り混じっていたりします。しかし、敗戦前までは日本人としての大和魂としての心や誇りというものが信条としてベースにあったのかもしれません。
現代にはモンスターペアレンツなどの問題やSNSによる情報誘導などによって教育者が窮屈な教育現場となっているのかもしれません。しかし、日本人としての道理をしっかりと学び、日本のため社会のために生きていくことの精神を養っていくことが、よりよい社会を築き上げていくために必要なことかもしれません。

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