中国古典〜1日1言〜:2/26
2/26
蝸牛角上の争い
-蝸牛角上之争-
「荘子」
蝸牛角上の争い
「大局的に見れば、非常につまらない理由で争っていることのたとえ」
蝸牛:かたつむり
角上:つの
宇宙のかなたから見れば、人間の営為など「蝸牛角上の争い」のようなものかもしれない。白だ黒だと争っていても、しょせん、ちいさな世界のちいさな出来事にすぎない。
現実のしがらみに苦しんでいる人でも、この話を思い出せば、自分を客観視できて、熱した頭を冷やすことができるかもしれない。
大局的に物事をみることの重要性
この言葉では、”大局的に物事を見る“ことの重要であることがわかります。見える範囲が狭いと、思考に深みがでず些細なことにこだわってしまう傾向にあると思います。
自分視点だけで物事を見ると、思慮浅くなってしまい安易な言動をとってしまう傾向があります。しかし、物事を”客観的“にみる視点をもつことで思慮深い言動がとれると思います。
視点は1つだけではありません。常に2つ以上の視点をもち、行動選択をおこなっていくことが知恵を身につけるたいせつなことだと思います。
”社会“と”自然“
社会:人々の集まり。さまざまな単位がある。(会社、国、組織など)
自然:人為が加わっていない、ありのままの状態、現象。
物事を見るときに、“人間社会”と“自然界”の2つの視点をもつことができます。人間社会は、人同士のつながりが重要です。自然界は食物連鎖や天地の法則など人為的に操作が難しい事象が多いです。
人間は生まれた時から社会に存在し、社会からの影響を受けます。与えられた情報だけを鵜呑みにしていると、自発性に乏しい人間になってしまいます。思考力の低下、視点の変換がおこなわれにくくなります。
天地の法則のように、常に物事はうつりかわります。同じ状況が続くことの方が少ないと私は思います。
小さなことに捉われず、大局的に物事を見て言動を選択できることが大切だと思います。
中国古典〜1日1言〜:2/11
スポーツにおける大局観
サッカーに限らず、スポーツの目的の一つは“心身の健康”に寄与することだと思います。スポーツには ”味方と敵“ や “応援する人と応援される人” の双方の関係性があります。
人間社会においても、双方間のコミュニケーションは大切です。スポーツを通して社会を学ぶことができます。少年期においてスポーツをすることの重要性はここにもあります。
しかし、スポーツの勝敗にこだわりすぎて、倫理面に反することも起こっています。少年現場においても指導者が過度な指導をする現場も私はみています。目の前の勝ち負けにこだわりすぎるあまりの過ちだと思います。
少年期におけるスポーツは、
社会性を身につける
目的に向かって言動する
などを学べる大切な手段です。
コロナ禍で活動制限を強いられている今の子供たちは窮屈な思いをしているかもしれませんが、少年期と関わる指導者として本質を忘れずに指導することを今後も行っていきたいと思います。
本書は人生を生きるうえで参考になることばがたくさんあります。ぜひ購入して普段の生活に役立てることをお勧めします。